
Public Performance
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Earth Art Publication
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池田一プロフィール


国連50 周年アートカレンダーの
12 月を構成 1885

世界巡回展「The Missig Peace」
で、池田一のアート作品を宣伝用
に2006

NY 国連本部でのセミナーで講演
2006

上野公園不忍池全体を使って、
環境アートを展開 2012
■ 今、環境アートからアースアートへ、世界をリードする一人に
「--- 標準的なアートの歴史では、初期の『ランド・アート』から、大阪出身のアーティスト・池田一のような現代の『エコ・アート』へのシフトについて記述するだろう。」
米国の評論家/デボラ・カラゾフによる文章の抜粋である。地球環境と人間の未来のあり方を問うアース・アートのリーディング・アーティストの一人として、池田一が世界的も歴史的にも注目されている証左であろう。
■ 独自なアートを生む原点は、「科学と芸術の両立」から 1960年前半
地球温暖化・異常気象など年々終末感が増す地球環境問題に、アート文化はどう向き合うのかー。この余りにも困難 な命題に、池田一のアースアートは、水を主なる表現媒体として、独自な領域を開発し続けている。その独自な発想 は、どこから来たのか、その発端は大阪、京都での青春時代にある。
京都大学の、日本で初めて出来た高分子化学科の第1期生として研究生活を送る一方、演劇活動にも打ち込み、S・ ベケットやイオネスコなどの不条理演劇のみを上演する劇団の美術監督をしていた。「科学と芸術の間」という未開 拓な領域で活動していたのが、博士課程に入ってまもなく、劇団が経済基盤を求めて静岡に移ることになり、周りの 期待を裏切って演劇の道を選択した(1965)。この決断は、受験勉強、そして研究生活からの流れから逸脱し、権 威的で商業的な競争社会からの決別宣言であった。
■「 演劇と美術の間」を流動して、水のアーティストに 1967〜
その後、東京に移住し、新たに「演劇と美術の間」で、独自な活動を展開する。演劇では、多相演劇マルチ・プレイ、美術ではFlow-work 流れる作品を提唱し、「生きることと表現すること」が同義となる世界を求めて、権威や制度の囲い込みから逸脱する表現に邁進する。
その結果、演劇という制度からも逸脱し、差別・排斥を伴うあらゆる表現手段をも越境して、「水」を主たる表現メディアとする世界に類のない道に生涯を捧げることになった。
「多分、他のどのアーティストよりも、池田一は水を表現媒体として、この制御不能な物質で、全く新しい言語を創造している」(ドミニク・マゾー/米国アーティスト)
■ 地球環境問題とアートをつなぎ、環境アートからアース・アートへ 1984〜
それから40 年以上にわたって、地球環境問題、特に水に関する問題と強く結びついたアートワークを、世界各地で展開してきた。国際会議、コミュニティー活動、パブリック・パフォーマンス、インターラクティブなインスタレーションを通じて、地球規模の水の保全について地球規模の意識を高めることに貢献して、広く「イケダ・ウオーター」として知られることになった。
■ 既存のアート文化の枠を超えて、「池田一アースアート 」は拡張し続ける
「アートの未来ではなく、未来のためのアートを!」を唱えて、アート文化の枠をも超えて拡張する「池田一アースアート」の具体的な活動の一端を紹介したい。
●サンパウロ・ビエンナーレから特別招待。日本人で初めてメイン・フロアに展示 1991
サンパウロ・ビエンナーレの出品作家のうち、最も注目されるアーティストに任されるメイン・フロア。池田一の前の回は、ヨゼフ・ボイスであった。
●国連50 周年記念アートカレンダーを構成する「世界の12 人のアーティスト」に 1995 国連50周年記念アートカレンダー[The Message: We the People̶] のトリとなる12月を担当。
●台北市政府文化局が、池田一・新聞「水藝術時報」を発行、住民に配布 2002
台北公共藝術節に合わせ、台北市政府文化局が、池田一「水藝術時報WaterArt Times」を発行。
● NY 州の中学生が、「水の保全/枯渇」をテーマに、世界中から池田一を選出 2005
南セネカ中央学校での水のシンポジウムに、世界から一人招聘するにー。中学生たちが選んだのは、科学者や環境運動家ではなく、池田一だった。
●米国の各中学校の教材用に、池田一のアート作品がー 2006
世界巡回展「The Missing Peace: Artists consider Dalai Lama」に招待出品の70 人のアーティストの中から、米国の中学生用教材用に池田一を含む3人を選抜。
●国連環境セミナーに東・東南アジア代表として、NY 国連本部で講演 2006
ニューヨーク国連本部での、セミナーと展覧会『Unlerning Intorelance』 に、東・東南アジア、オセアニア代表として、招聘される。
● EU の気候変動キャンペーンに、池田一のアースアートを採用 2007
EU の政策執行機関による気候変動キャンペーンに、川の中の「五輪の浮島」が採用された。
●「 村丸ごとアートにしてくれんか!」という限界集落でのビッグプロジェクト 2010
鹿児島・枕崎の木口屋集落からの要請に応えて取り組んだ、村丸ごと変容させる『地球の家』プロジェクトを実施
●東京都からの要請で、上野公園不忍池全体での環境アートを実現 2012
全国都市緑化フェアTOKYO のメイン会場・上野公園の不忍池全体を使った、百年に一度あればいい環境アートのビッグプロジェクト。
■ これからは、アートならではの「歴史を創る」という命題を抱えて
上記の実践例から明白なように、「池田一アースアート 」は地球環境問題、水の保全、環境アート教育、地域変革など、従来のアート文化の領域を遥かに超えて、未来の可能性に向けて拡張している。
カナダの評論家/ジョン・グランデは、その「歴史を創る」可能性について言及している。
「--1960 年代のアースワークやランドアートの始まりや、1950 年代の日本でのもの派から、野外展示でのアートの形態は、自然との、 実際に地球に密着した交換へと変化し、進展していった。池田一のアーティスト活動は、その全てのステップを更に先へと押し進め、 自然の生態系との段階における新しい方向性により近いステップにあると言える」
「池田一アースアート 」という独自な流れに沿って眺望し、より客観的に「池田一という奔流」をひもとき、歴史の中に位置づける人物が出現することを切望しています。

21 回サンパウロ・ビエンナーレの、
池田一「漂う地球」 1991

台北市政府文化局が、「池田一/
水藝術時報」を発行 2002

EU の気候変動キャンペーンに「五輪の浮島」が採用 2007

「村丸ごとアートに」という要請
に応えて、「地球の家」プロジェ
クトを展開 2010